【アンビリバボー】黒澤明と植草圭之助の恩師・立川精治先生(黒田小学校)の話

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6月22日のアンビリバボーで黒澤明監督が紹介!
いじめられっ子で泣き虫で勉強ができなかったという、
黒澤明の生い立ちや恩師とのストーリーを記事にします。

  1. 黒澤明の生い立ち
  2. 植草圭之助
  3. 素晴らしき日曜日
  4. 立川精治先生(黒田小学校)
  5. 黒澤明 いじめられっ子
  6. 副級長・植草圭之助
  7. 映画館で、その後

1.黒澤明の生い立ち

黒澤明は1910年東京の品川区生まれ。
中学を卒業すると画家になりたいと努力し、
18歳で二科展に入選します。
26歳で映画制作の道にすすみ、7年後に姿三四郎で監督デビュー。

2.植草圭之助

その頃、黒澤明は同級生と再会します。
それが、植草圭之助。
植草圭之助は駆け出しの脚本家でした。

2人は同じ教室で学ぶ同級生でした。

3.素晴らしき日曜日

黒澤明はこの植草さんと2人で映画を制作。
監督デビュー4年後の1947年のことでした。

映画名は「素晴らしき日曜日」です。

映画は大成功で、同じクラスの生徒が、
2人でタッグを組んで映画制作に取り組むという偉業。

その2人の教師だった人がは、立川精治さん。

4.立川精治先生(黒田小学校)

この立川精治先生は、型にはまらないで、
生徒には自分らしく好きなことをさせて、
生徒の良い所を引き出そうという教育法をしていました。

当時の昔の日本は、まだ上から押さえ込むというか、
型にはまった教育法だったので、
立川先生のポリシーは珍しかったそうです。

立川先生の個性を尊重した授業は・・・
例えば「生徒に好きな絵を自由に描かせる」事。

今では普通ですが、当時は教科書の絵をそっくり真似て描く、
などが良しとされていて自由はありませんでした。

5.黒澤明 いじめられっ子

黒澤明は小学生時代はいじめられっ子だったそう。

他の男の子とは違って髪型が女の子みたいだと言われ、
さらに勉強もスポーツもできなかったため、
私立の小学校で虐められ、転校した後の、
黒川小学校でも、初めはイジメを受けていました。

しかし、立川先生のクラスになり、初めて認められた事で、
勉強の成績も伸びて、ついには級長までなります。

6.副級長・植草圭之助

そんな中、担任の立川先生は、
「副級長というものをつくって、
植草圭之助にやってもらったらどうか?」と黒澤に提案。

その植草圭之助は、上記の通り、脚本家になる人物。
黒澤監督とタッグで映画をつくる気が弱く、
突き飛ばされても文句を言えず、
すぐ泣く頼りない男の子。

「今はダメな奴でも副級長をやれば、
しっかりするんじゃないか?」という提案で、
植草圭之助が副級長になります。

それがきっかけで2人は一緒に様々な事をし、
仲良くなります。
2人のチームワークはとても良く、
黒澤監督が絵を描き、植草さんが文を書く事もあったとか。

7.映画館で・・その後

その後、立川先生は、その自由な教育方法が反感をくらい、
2年後に黒川小学校を去ることになりました。
去ってからも黒澤明&植草コンビは先生の家に遊びに行ったり、
交流はあったようです。

そしてそれから何十年も立ち、映画館に映画を見に行って、
2人が監督&脚本家の映画だった事を知り、
涙が止まらなくなったようです。

自分の教育法が認められたように感じ、嬉しくもなったそう。

・・・・そんなお話でした。

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